未だにPrideや初期のUFCの幻想を描いている人がいるがそこに戻ってどうなるのか?
確かに競技が成熟に向かって、つまらない試合も増えている。ルールがより安全競技が行えるように整備され、それに伴い戦い方の対策が出来て、結果、こう着状態が増えてしまう。
でも、ただそれだけではないと私は思う。こう着状態が増えるのはよくはないが互いの意地がぶつかった時に、一色触発の緊張感、打ち合いでの攻防、寝技の攻防は、昔のMMAでは、得られなかった緊張感と面白さを持っている。コメントが優等生で負けない試合をするつまらない選手もいるが・・・。1回のイベント全ての試合が面白いなんて虫がよすぎる。たとえ、1、2試合でも面白い試合があればいいのではないか。
詰まらなく感じるのは競技が成熟しただけではない。見る側の目が慣れ、より強い刺激を求めている。例えると、遊園地の絶叫マシンと同じでより強い刺激を求めてると同じ。 誰かのブログで毎回ルールを変えて、選手に緊張感を持たすのはいいがそれは絶叫マシンの刺激を求めるとの何ら変わりはない。
こういう刺激を求める人は成熟されたモノを見るより、ルールが整備され喧嘩自慢のでるアウトサイダーを見た方がよいのではないだろうか。ルールは違うがイメージは初期のUFCに近い。Prideの幻想を求めている人は論外。Prideはプロレスラー無くしては語れないから。
選手や作り手側が素晴らしいイベントをやる為に成熟していくのと同じで 見る側の成熟もしないといけない。同じ者を求めてはダメ。全ては未来に向かって動いている。未来に向かって面白い提案はいいが、過去を引きずっていては何を見てもつまらない。
いつも始めて見るつもりで、始めてみた時の感動を、初心忘れべからず!
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